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最近、ほぼ「おひとりさま」になりつつあります。
母が亡くなり3ヶ月。慌ただしい日々が過ぎました。延命治療と尊厳死のことや、葬儀の流れやお金のこと、もろもろなことが押し寄せてきました。
事前に勉強していたつもりでしたが、実際には悩み迷うことばかりでした。
少しずつ整理してきます。



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その日はいきなり来る

このサイトを始めた頃、自分は限りなく「おひとりさま」に近い状態…と説明させていただきました。


    こちら→おひとりさまにはどんな備えが必要なの?

 

最近、更に「真正おひとりさま」になりつつあります。

実は…母が亡くなって既に3ヶ月になります。

米寿を超えた母は、自分で食事もできるし、トイレも自分の足で行っていたのですが、実際身体の中はボロボロだったんですね。

十数年前からその存在は承知していたのですが、いつのまにか大きく膨らんでいたのです。「腹部動脈瘤」が。その腹部動脈瘤がとうとう破裂してしまいました。

母の死は、ある意味予測できた死ですが、それでもこんなに急に来るとは想像していませんでした。

このサイトでいろんなことを書きながら勉強してきたつもりでしたが、いざとなるといろんな場面で悩み迷いました。

そういったことも少しずつご紹介していこうと思います。

 

 

延命医療はどうする?

まずいちばん気になったことは…延命治療と尊厳死についてです。

延命治療と尊厳死について、「母と真剣に向き合って話し合う、母の意向を確認する」ことはできていませんでした。

ただ、何年か前には延命治療を受けたくない旨の母の言葉は聞いたことが何回かありました。母の知り合いの訃報を耳にしたときやテレビドラマをたまたま一緒に見ていたとき、「私はあんなまでして生きていたくないよ」と言う言葉はよく言っていました。

でもそのときはまだ母自身が自分の死をリアルには想像していない時期。実際に年老いてきてからの母に直接それを聞くのは憚られて、しっかりと確認することはできていませんでした。

その選択を迫られるタイミングが、実は2回ありました。

 

決断しなきゃいけないタイミングは突然

母は、亡くなる1週間前、急に胸が痛い、と訴え救急車で病院へ。でも、痛みはまもなく治まりました。検査の結果、動脈瘤に少し亀裂があるようです。でも手術ができるような年齢でも体調でもないので、血圧コントロール程度しか手立てが無い、ということでした。

さらに「動脈瘤はかなり大きくなっている。破裂はすぐ、かもしれないし、どれくらいの期間が大丈夫なのかはわからない。今、入院に際し、もしものときに延命治療をするのか否かの回答を”今”欲しい」と医師に言われました。



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私は3姉妹です。その時同席していた妹の想いは確認できましたが、姉が同席できていなかったので、姉の考えを確認してから返事をしたい、と答えました。でも、医師は

「破裂は今すぐかもしれない、3分後にはそうなるかもしれない、そのときに回答をもらってなければ、医者としては患者を救うために延命治療を施すことになる。でも、実際の延命治療はテレビドラマにあるようなきれいなモノじゃないよ。とても見ているのが辛くなるような光景があるよ。延命治療して必ず元気になるか、も言い切れないし、もし命をつなぎ止められても、更に長く辛い思いをさせることになるかもしれない。ほんとによく考えてほしい。」

妹と二人で聞いていて、辛い決断をせざるを得ませんでした。
「延命治療はしないでください」

姉にはそのくだりも含めて事後承諾してもらいました。

 

もう一回の苦しい決断が…

入院後、症状も安定していたので5泊した後、自宅へ戻りました。

でも動脈瘤は「いつ破裂してもおかしくない状態」です。病院としては退院を勧めるわけは無いです。でも、病院にいても、血圧が安定しているかをチェックするだけです。さらに、病院にいるほんの短い期間に母は急激に認知症状が進みました。一日中「うちへ帰る!」といい続け、怒り出します。
ですから、病院にいても何もいいことが無い、と思いました。

「動脈瘤がいつ破裂してもおかしくない状態には変わりないのだから、帰宅すれば『突然死』が起こるかもしれない。突然死のリスクを承知で退院するってことですけど、それでもいいんですか?」

医師にも看護師長さんにも確認されましたが、それを承知で、とにかく母をこんなに嫌がってる病院から早く家に連れて帰りたい、と思いました。

土曜の昼に退院し自宅へ戻り、日曜は母と娘3人が集合し会話を楽しみました。翌日の月曜にはかかりつけ医の診察を受けることができました。母は少ししんどそうでしたが、話もできるし、家でのトイレは歩行器を使いながら自分で歩きました。

家に帰れば認知症もまるで治ったかのようにちゃんと話ができました。
またもとの生活に戻れるかも?と思ってしまうくらいでした。

けれども、やはり目には見えないけど動脈瘤が治ってるはずもないです。

夕方、急に「痛い、痛い」と言い出し、姉がいつものように背中をマッサージ、しますが、母の表情はいつもと違います。これはおかしい!と「かかりつけクリニック」or「救急車」のどちらに電話をすべきか悩みましたが、まずは救急車を呼びました。

でも、その途中に、姉が声をかけながらマッサージしている中で、母は突然動かなくなりました。

救急の人に電話で状態を説明すると、心臓マッサージをするように言われ、姉が続けていました。

救急隊の人が到着して心臓マッサージを交代してくれて、AEDも取り出しましたがそれは使うことなく、母をストレッチャーに載せて救急車へ。

その途中で「気管挿管しますがいいですね」と確認されました。
救急の方はこれまでの病院とのやり取りは知る由もないのですから、そう聞くのは当然でしょう。でも、それは1週間前の病院の話の状況だと思いました。

なので、姉と話して、それはやらないでください。ということにしました。救急の人は驚いていました。病院でのこととか経過を説明すると、納得してくれました。

これも私にはとても怖くて苦しい決断でした。

救急車では何も処置をしないまま、おととい退院した病院へ連れて行ってもらいました。

結局、病院では死亡確認をしてもらっただけ、という次第です。

 

医師の言葉に少し救われた気がする…

病院では、さらに、死因の確認のためにMRI撮影をしてくれました。

その画像は、やはり母の胸やお腹のあたりが黒くなっています。動脈瘤破裂による出血が広範囲に広がっている、という説明でした。納得せざるを得ませんでした。

と同時に医者が「動脈瘤破裂によって心臓がすぐに止まります。一瞬のことですから亡くなる前に本人がひどく苦しんだということはないです」と説明してくれたのが少し救いでした。

 

ほんとにこれでよかったの?

もし、病院を退院せずにいたとしたら…母が死を迎えることはまだまだなかったかもしれない、とも、思います。
でも、認知が加速度的に進んでしまい、母が自分の状況がわからなくて混乱したり、周りに誰も信じられる人がいないと思い込みながら死を迎えるのはもっとかわいそうだと思いました。

私がかわいそう、と思うだけで、本人はわからないからかわいそうじゃない、とかって考え方もあるのでしょうか。

でも、実は何よりも自分が、最後まで母としっかり濃くつながっていたかった…のです。

ほんとにこれで良かったのか、と何回も自問自答します。
母は家に戻った3日間、認知が回復したんですから、病院に長居は無用だった、これで良かったんだ、と自分の思いはどうしてもこの結論になります。

でも一方でそれは私のエゴだったかも?という疑念も振り切ることができないでいます。

 

まとめ

もしも、延命治療について、生前に母の明確な意思を確認できていたなら、母の思いのとおりにしてあげられた、と自分自身が納得できているのではないかと思います。

つくづく、早めに母の意思確認をしておけば、と悔やまれました。同時に、自分も万が一のときに備え、周りの人に自分の選択を伝えることが大事、それもなるべく早めに伝えよう、と思いました。


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